以前呉市のあるお寺のご法座で、

一人いて喜ばば二人と思うべし

二人いて喜ばば三人と思うべし

その一人は親鸞なり

という親鸞聖人のお言葉をご紹介しました。

うちの境内の親鸞聖人像にも刻んであるお言葉です。

「一人でお念仏している時は二人でいると思っておくれ、二人でお念仏している時は三人でいると思っておくれ。その一人は親鸞だよ」

「お念仏喜ぶあなたは一人じゃないよ、一人でいる時は二人、二人でいる時は三人だと思っておくれ。お念仏喜ぶ者を決して一人ぼっちにはさせないよ。私親鸞が共にいるよ。そして阿弥陀様が共にいらっしゃるからね」というお心だと受け止めさせていただいております。

そのお寺でのご法座の帰り道、あるお同行(おばあちゃん)が話かけてくださいました。

「今日あなたが紹介してくれた親鸞さまの歌、昔、母親がよく口にしていたんですよ。とても懐かしく嬉しかったです。母はこの歌を口ずさみ、『如来さまがご一緒、親鸞様がご一緒』とよく言っていました。当時の私はあまり気にもとめず、興味もありませんでした。家族にも仕事にも恵まれ、仏様がいようがいまいが私には関係のない話だと思っていたんです。しかし、親を亡くし、子どもたちも離れ、主人を亡くし一人ぼっちになった今、『一人いてよろこばば二人と思うべし 二人いて喜ばば三人と思うべし その一人は親鸞なり』というこの言葉、、、本当に身に沁みました。今になってやっと母親が喜んでいたものが少し分かったような気がします。ずっと仏様はご一緒だったんですね、嬉しいです。」と教えてくださいました。

私はこの歌が好きで、「一人いて喜ばば二人と思うべし」の所が特に好きだったんです。例え私から何もかも全てが離れて一人ぼっちになろうとも、親鸞さまはご一緒、如来さまはご一緒なんだ。という所が嬉しいな、と思っていたんです

しかし、このお同行の「ずっと仏様はご一緒だったんですね」という言葉に、ハッとさせられたんです。

そうだった、如来様は私が一人ぼっちになってから初めてご一緒くださる方ではなかったなぁ。と。

私が如来様のことなんとも思っていなかった無限の過去から「ずっと」願い、育て、ご一緒くださっていたんだなぁ。と。

そのように考えますと、この歌の「二人いて・・・」というのは私が仲間や家族、仕事に囲まれ、親鸞さまや如来さまのことなんて、なんとも思っていなかった時。とも味わっていけるのかもしれません。そして、そんな時からずっとご一緒だったと味わうこともできるのお言葉ではないかと思うのです。お同行の「ずっとご一緒だったのですね」というお言葉から、「二人いて喜ばば」の部分も嬉しいなぁと教えていただいた出来事でした。

うちの息子は結構怖がりでして、小学校に行き始めた当初、学校から帰る下校が怖いと言っていました。行きは通学班で行くからいいのですが、帰りはそれぞれに帰りますので、一人で帰らなければならない日もあります。

「怖いから迎えに来て―」と言いますので、下校の際、毎日途中の公園かバス停まで妻が迎えに行っていました。私も家にいる時は迎えに行っていたのですが、私が迎えに行ったら息子が「何でお父さんなん?ママは?」と言われますので、ほとんど妻が迎えに行っていました。

しかし、ある日、息子も成長したのでしょうか、「ママが迎えに来るのを友達に見られるのがちょっと恥ずかしい、友達と帰る日は来なくてもいい」と言ったのだそうです。「でも、一人の時は寂しいから迎えに来てほしい」と。

わがままー(笑)

だからそれ以降も妻は毎日迎えに行きました。だっていつ友達と一緒に帰ってくるのか、一人で帰ってくるのかなんて分かりませんからね。息子が友達と帰ってきている姿を見たらお友達に見つからないようにコソコソと先にアパートまで帰り「おかえり」と家で出迎え、息子が一人だったらそのままバス停で待ち、出迎えるのです。

その内、ほぼ友達と帰ってくるようになりました。私は「もう慣れただろうし、一人で帰らせれば!?最近ほとんど友達と一緒じゃん!無駄足じゃん!」と言いました。しかし、妻は「いいのよ、コロナで参観日もないし、友達と楽しく帰ってくるすがたを見るのも嬉しいのよ」と言いながら、いつ一人で帰ってきてもいいように、毎日毎日迎えに行っていました。

一人で帰らなければいけない日も、ママと一緒に帰れることは、息子にとってはとても安心だったろうと思います。しかし、それだけではなく、一人の時にちゃんと迎えに来てくれているということは、他の日もずっと迎えに来てくれているということです。それが嬉しかったのではないでしょうかね。一人で帰る日も、友達と一緒に帰る日も、ママが一緒の日なのです。

(実際はもしかしたらそこまで考えていたかは分かりません。一人の時だけちゃんと迎えに来ることができるママは超能力が使えるんだと思っていたかもしれません(笑))

「一人いてよろこばば二人と思うべし。二人いてよろこばば三人と思うべし。その一人は親鸞なり」

一人の時も友達と一緒の時も、ママが一緒の時なのです。

一人の時も、二人の時も如来様、親鸞様がご一緒の時なのです。

如来様は、私が一人ぼっちになった時にはじめてご一緒くださるのではありませんでした。ポットでできた仏様じゃないんです。どんなときも、私がなんとも思ってないときから「ずっとご一緒」だったのですね。

そのお同行のおかげで「一人いてよろこばば」だけではなく、「二人いてよろこばば」の部分がまた嬉しく感じられるようになったのでした♪

今如来さまと出あわせていただいたということは、今だけではなく、私の無限の過去にずっとご一緒くださっていたということでありました。

三次市 浄土真宗本願寺派のお寺 西覚寺